パニック障害を治す目的 | パニック障害克服カウンセリング https://ptsd-counseling.com パニック障害克服カウンセリングでは、パニック障害を克服した大野良実の実証的見地より、認知行動療法、催眠療法(ヒプノセラピー)、NLPによる恐怖症対処、イメージトレーニング(行動療法)を取入れています。パニック障害は治ります。克服克服体験談では、初期症状で現れた洞性頻脈、過呼吸からパニック障害が治るまでの経緯を綴っています。 Thu, 08 Feb 2024 00:39:32 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.0.21 https://ptsd-counseling.com/wp-content/uploads/2023/12/名称未設定のデザイン-150x150.png パニック障害を治す目的 | パニック障害克服カウンセリング https://ptsd-counseling.com 32 32 保護中: パニック障害を治したプロセス<パニック障害克服記> https://ptsd-counseling.com/2019/03/09/panic/ Sat, 09 Mar 2019 07:52:52 +0000 https://ptsd-counseling.com/?p=788 この投稿はパスワードで保護されているため抜粋文はありません。

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パニック障害で通った病院 https://ptsd-counseling.com/2019/02/18/hospital/ Mon, 18 Feb 2019 14:20:31 +0000 https://ptsd-counseling.com/?p=774 医者に病状を説明する場合、私はいつも、こう話していた。 「表現しようのない辛さなんです。なった人でしか解らない ...

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医者に病状を説明する場合、私はいつも、こう話していた。
「表現しようのない辛さなんです。なった人でしか解らない辛さで、その度に症状も様々なんです。気持ちの持ち方で切り替えられるようなものでない辛さなんです。」と。
それでも「死なないんだし、気持ちの持ち方で変えられることもありますよ。」と言われることもあったが、こう言われることが嫌でならなかった。自己否定、他者否定の心理ポジションに陥っていた私にとって、こんなこともできないの?といった目で見られている自分が情けなく思えた。

都内では、心療内科を10箇所以上は転々とした。救急車を呼んだり、夜間診療など含めると20近くなる。
病院も様々だ。待ち時間がほとんどない病院、予約していても1時間以上待たされる病院。
問診の方法も様々だった。
事前にスタッフが状況を聞くところ、聞かないところ。
事前に質問紙法をするところ、しないところ。するところでも10問ぐらいで済ますところと、いくつもの質問紙法を多面的にするところもあった。

いろいろなタイプの医師がいた。
嫌なイメージで印象深いのは、冷酷そうな医師だ。
神経質な学者タイプに見えた。

文京区にある病院だった。
初診で言われた時の状況を今でも鮮明に覚えている。
「どんな親なのか話をしてみたい…」
「隔離病棟へ入院でもするか…」
私は苦笑いしているだけだった。診察室を出て、言い返すこともできない自分に対する情けなさと、医師に対する憤りが湧き起った。
会社で紹介を受けた医者だったこともあり、しかたなく数回通うが、診察を受ける度に胸が締め付けられる思いになり、通うのは止めた。
思い出した。この医師には、薬はこれまでとは違い、薬名は忘れたが麻薬のような覚醒させる薬を追加で処方された所だった。頭が割れるように痛くなりすぐ止めた。

又、まるで工場のオートメーションの部品のように扱われているような印象を受けた病院もあった。
赤坂の病院だった。初診で何ヵ月前に予約してようやく自分の番になる。診察室に入るとろくに話もできないまま薬を出される。一人一人の時間が決められてる様な感じだった。

一方で、安心させられる医師もいた。
日大医学部板橋病院から紹介を受けた荻窪にある病院の先生だった 。
日大の精神科に初診で行ったところ、次の予約が近々にとれずに紹介してもらった所だった。
後に心身症の分野で第一人者といわれる著名な医師(故: 桂戴作先生)であることがわかる。
何が私の気持ちをそうさせたかわからないが、唯一、安心できる先生だった。この先生だけだった。
先生に、恐る恐る聞いたことがあった。
「ビールは飲んでも大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ」
先生は、穏やか表情だった。想定外の答えで一瞬驚いたものの、内心はホッとした。
(一般的には抗不安薬、 抗うつ薬などにアルコールは控えるものと言われている。)
この先生は長期に渡る主治医となっていた。
ただ当時、東上線の下板橋に住んでいた私にとって、この荻窪にある病院までの往路はきつかった。
その為、近くの病院では、荻窪まで通えない場合に、薬を処方してもらえる様に利用していた。 万一に備えて薬を備蓄する為でもあった。

心の病を扱う病院は、大学病院や町中の心療内科がある。当時より、今は更に多くの診療内科を見かける。多くの病院で診察を受けて思ったことは、同じ私なのに、診療の内容に差があっていいのだろうかということだった。
今は決して、こうは言えるものではないかもしれないが、当時の私の体験から、病院ではなく医師をどう選ぶかが大切だということは言える。

病から抜け出しカウンセラーとして活動をはじめてから、クライアントが通院している心療内科へ同行もしたことが5件ある。
・医師が信用できないから
・医師に聞きづらい
・薬を変えたいことが言えない
というクライエントのためだった。
それは私が当時、実感していたことでもあった。

今思う。
当時、私は医者を頼っていた。治る可能性を見つけてくれるのは医者しかいないと思っていた。治してくれる医者を探していた。
ただ、途中で気づいたのだ。(諦めたのかも知れない)
治してくれる医者、治すことを約束してくれる医者などいない。と。
ある時、あるきっかけから「自分で治す」「治せる」という気持ちを抱いた。
これからが、克服に向けた始まりだった。

続き▶パニック障害を治す目的

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パニック障害を長引かせた原因<パニック障害克服記> https://ptsd-counseling.com/2019/02/12/panic3/ Mon, 11 Feb 2019 23:24:24 +0000 https://ptsd-counseling.com/?p=766 当時、パニック障害を患ってる事、病で悩んでいる事、通院している事、薬を服用している事、休職している事…その他、 ...

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当時、パニック障害を患ってる事、病で悩んでいる事、通院している事、薬を服用している事、休職している事…その他、病に関する事は、離れた実家に住んでいる親、兄弟には一切話すことができなかった。
今もこのブログを見ない限りは知られることはないだろう。

友人知人に対しても、常に平静を装っていた。周りからみると、パニック障害という病を患ってることなど分からなかっただろう。辛い症状に見舞われても我慢して耐えていた。

薬を服用する際は、とにかく隠した。気付かれないように朝昼晩と飲んでいた。
隠し持ち、気付かれないように飲む。この生活を13年続けてきた。
飲むところを人前で見せたことがなかった。

こうして、平静を装う心境は、一概には言えないが、いじめにあってながら、親、友達に打ち明けられない心境と似ているように思える。

休職時、上司に病について、しかたなく説明する時には
「芸能人の大場久美子や安西ひろこ、アンルイスとかがなってる病なんです…」
から話しを始める。こんな人達もこの病になっているんだよ。と、一般化していた。
振返ると、心が弱いという見方をされるのが嫌だったからだと思う。この頃は、まだ心の病に対する認知も低く、私自身、病に対してどこかに偏見を抱いていたからだと思う。

今、思う。弱い自分を認めてあげられたら、もっと早く回復していたかもしれないと。
心の病であることを知られたくない。精神薬を飲んでいることを知られたくない。
知られると恥ずかしい。知られると弱さを見せることになる。
今では、恥ずかしいことでもないと、だからこそ、こうしてブログも綴っている。そして、人って誰もが弱いもので、弱さを認められてこそ、強いのだと思えている。

続き▶パニック障害で通った医者

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薬と症状<パニック障害克服体験記> https://ptsd-counseling.com/2019/02/09/medicine/ Sat, 09 Feb 2019 01:05:34 +0000 https://ptsd-counseling.com/?p=760 薬について 薬が最も多い時は、抗不安薬のソラナックス(0.8mg)、レキソタン、抗うつ薬のアモキサン、レスリン ...

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薬について

薬が最も多い時は、抗不安薬のソラナックス(0.8mg)、レキソタン、抗うつ薬のアモキサン、レスリン、トリプタノールorアナフラニール、睡眠導入剤のマイスリー、パニック発作時の頓服に出されたワイパックス、脈を下げる薬、胃腸薬だった。抗不安薬のソラナックスは、通常には0.4mgだが、丸い形の0.8mgを1日3回になっていた。

薬については、こんな思いもあった。
初めて心療内科を訪れ処方箋をもらい、薬局の受付で待っていた時、前の人がごっそりと薬をもらっている場面を目の当たりし「そんなに服薬して大丈夫なのか?」と驚きと心配な気持ちを抱いた。
その時は自分がそうなることなど想像もしていなかった。一番最初にもらった薬は、ソラナックス(0.4mg)だけだった。

それが、自分もごっそりと薬を受け取っている。薬をもらう際、薬剤師が薬を説明する時間が嫌でしょうがなかった。
周りに聞こえる、周りに見られている…。知られるのが嫌で恥ずかしかった。自分がこれだけの薬を服用しているという事実も認めたくなかった 。当時の心境を解くと、心の病に対する偏見があったからだといえる。

薬の中でも、ソラナックスは、過換気性症候群と診断された初期の頃に服用を始め、全ての服用を止める最後まで飲み続けた薬だった。
特に抗不安薬は、副作用に眠気を生じることがいわれているが、私の場合、眠気など全く生じなかった。個人の効き方の違いもあるようだが、それだけ、緊張状態にあったのだと思う。
当時、薬は命のようなもの。万一の事態に備えて、薬を備蓄するために心療内科をいくつも通っていたこともあった。

パニック症状について

病の症状は、まさにパニック障害そのものであった。
自由がきかないことで、日常生活では支障が生じた。
電車、車の運転、床屋、歯医者、レストラン、映画館…。
電車は特に急行や満員電車は不安で怖くて絶対に乗れなかった。新幹線、飛行機は論外だ。
動悸や何とも言えない不安感の生じているときは、一区間でさえも乗り込むことができない。
よく一般的な書物には、パニック症状として「動悸、めまい…」などと書かれているが、そんな表面的なもの、経験している様なものではない。何とも言い表せない、肉体的症状と共に不安感、恐怖感に支配される。
絶対死ぬようなものじゃないから…そう考えればいいんだよ…。こう言ってくれる人もいるが、そんなものではないのだ。パニック障害になった本人しか解りえない症状だ。

それまで好きだった車の運転は、空いている道路、路肩のある道路が運転できる範囲になっていた。
高速道路、橋、トンネル、渋滞でも、様々な症状にみまわれる。

床屋は拷問台に向かう心境だった。流行っていない10分カットの店を選び、空いている朝一番に行った。
その10分足らずでも、カットを終えると相当のエネルギーが吸い取られる感覚だった。
床屋でも、色々な症状が起きる。
頭から血がスーと引くような感じや、息苦しさ、動悸、めまい、ほてり、不安感、恐怖感、手が汗ばみ口は渇く、これら症状が都度違う。
そして、床屋も完全に行けなくなっていった。

職場でも支障はあった。
パニック症状とうつの併発により、同じ会社で三度休職している。
特に辛かったのは、会議、朝礼や昼礼、社内食堂での昼食、通勤電車。

会議の時は、できるだけ出口に近い席を確保するようにしていた。
しかし、主催者の場合はそうはいかない。息苦しさ、めまい、何と言い表せない辛さ、不安…。
社内食堂で昼食をするのも辛かった。
食べる時はその場にいないといけない。食事を選んで取るときと片付ける時には列に並ばないといけない。しかも食器を手にしているから目眩など起きたらまずいと考えてしまう。常に緊張状態で、味わって食べている余裕などもない。我慢するにも限界を感じてから、節電で消灯された暗い職場のフロアーで1人机で、おにぎりかパンを食べるようになっていた。
誰にも、平静を装いパニック障害であることは話せず、1人仕事場で食べてる私は、変わり者だと思われていただろう。

自宅では、1人の夜に怯えることもあった。
乗り物を避けて旅行にもいけなくなった。普通に楽しむ場所にいけなくなってしまったことについて、自由が奪われ、まるで刑務所にでもいれられた様な気分で、何か悪いことをしたんだろうか…と本当に思い悩んだ。
楽しみも奪われ、ストレス発散もできず、うつ状態にも陥った。

克服した今

今克服できて、当時を振り返ると、自然に涙溢れることもある。
何が涙してしまうのか考える。当時は、自分を認めることのできない自分がいた。誰にも言えない苦しみに耐えるだけの自分。そんな自分を否定していた。今になって、そんな自分を認め賞賛しているからかもしれないと思う。

克服して変わったことは、今生きていると実感できること。感じられることが幸せと思えること。
そして、確かなことは、病を克服できたということ。当時からする治せると考えられなく、今の様な活動など出来るようになるなど想像がつかなかったことだが、今、私はやりたい事の為に会社を辞め、カウンセラーとして、そして講師として、セラピー活動やスクール活動をしている。そこでは長時間、大勢の前で話しをしている自分がいる。
床屋では、うとうとしている自分がいる。
電車では、乗り過ごしてしまう程にリラックスしている自分がいる。
銀杏並木が綺麗と思える自分がいる。
青空が綺麗と思える自分がいる。

常に十数年、脈拍が110を超えていたが、今は70前後。そして薬はない。

過去には、何度か諦めかけた自分もいた。もしも諦めていたならば、時間は止まり、全てが後悔となっていたと思う。
諦めさせなかった原動力は何かと考える。確信と復讐心と希望だった。

▶パニック障害を長引かせた原因 

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パニック障害克服体験記(はじめに) https://ptsd-counseling.com/2019/01/19/taiken/ Sat, 19 Jan 2019 08:12:26 +0000 https://ptsd-counseling.com/?p=724 私がパニック障害になる兆候は頻脈でした。 <経緯> 30才 定期健康診断で 洞性頻脈(どうせいひんみゃく)と診 ...

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私がパニック障害になる兆候は頻脈でした。

<経緯>
30才 定期健康診断で 洞性頻脈(どうせいひんみゃく)と診断
31才 過換気性症候群と診断
以降、パニック障害、うつを併発
40代で克服する

何度となく救急車を自分で呼びました。
何十か所と病院は通いました。
休職しては復職を繰返しました。
薬は隠して飲み続け、 親兄弟にも友人にも病名、病状を明かさず、1人で抱え思い悩んでいました。
荒川の土手で寝そべり、綺麗などと思えぬ青空を見上げながら、どう時間を止めようかと考えてた時もありました。
辛いパニック症状が消えるなどとは到底、思えなかったからです。
パニック症状の時に生じる死に対する不安以上に、絶望感にも苦しみました。

しかし、こんな私が元々の状態に戻れたのです。
当時は辛いことばかりでしたが、今では、その時の体験が自分の成長をもたらしていると感じています。(こう考えないと取り戻せない時間を悔いてしょうがないからかもしれません。)

今、パニック障害で苦しんでいる人に「元々の自分を取り戻せる」「パニック障害は治る」と、信じて欲しい思いで、克服記を綴ることにしました。

▶続き「パニック障害ピーク時の薬」

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